外国語学校で勉強したインドネシア語
英語もその他の外国語も話せない私は、海外旅行の前はガイドブックの巻末に載っている単語や文章に目を通して、その国の言語を少し勉強します。それが高じてわりと身を入れて勉強したのがインドネシア語です。
まずは、インドネシア語や他の東南アジアの言語を専門にしている学校に通いました。毎週1回、夕方から約1時間半の授業があります。通い始めた頃は生徒が2人だけのクラスでしたが、少し経った頃に2人とも他のクラスに移ることになり、そこでは10人くらいのクラスメイトと一緒に授業を受けました。
先生はインドネシアのジャカルタ出身、明るくて聡明な女性でした。日本語がとても上手で、板書では簡単な漢字を使うこともありました。イスラム教徒だった先生は私が知らなかった様々な文化を教えてくれて、日本で困ったことなども面白おかしく話してくれました。1度は家で作ったインドネシア料理を学校に持ってきてくれて、授業の前に皆でいただいたこともあります。
生徒はみな社会人だったので、仕事の都合で欠席したりしばらく来られない期間があったりして、出席人数はだいたい6人くらいということが多かったです。そのくらいの人数でコの字に並べられた机で勉強すると、自然と和気あいあいとして仲良くなってきます。授業の合間にそれぞれが経験したインドネシアの文化について話をすることは、語学を勉強することと同じくらい貴重な経験でした。
軽い気持ちで通い始めた学校ですが、せっかくだからとインドネシア語技能検定を受験し合格することができました。何かの資格を取得するというのは7年ぶりだったので、とても嬉しく達成感を感じられ、さらに上のレベルの合格を目指すようになりました。
自宅学習と教材にした本
その後、生活環境が変わり学校は辞めてしまいましたが、家での自習は続けていました。その際、学校で使っていた教科書の他に教材として用いたもののひとつが、インドネシア語訳された『窓ぎわのトットちゃん』です。最初はインドネシア語の絵本を読もうと思ったのですが、『窓ぎわのトットちゃん』なら内容をなんとなく覚えているので読解しやすいのではないかと考えました。傍らには日本語の『窓ぎわのトットちゃん』を用意して、答え合わせをしながら読み進めます。
この本は、言わずと知れた黒柳徹子さんの幼少期の実話です。内容は親しみやすく、また世界35ヶ国で翻訳されているので語学の勉強に使うのもお薦めです。
そんな私の奮闘を夫は応援してくれていましたが、夫がインドネシア語に興味を持つことはありませんでした。しかしインドネシアのバリ島を旅行することになると、旅行中に使いそうな言葉の習得を始めました。一緒に勉強する仲間がいなくなって意欲が下がりそうになっていた私は、夫のこの姿勢に刺激を受けました。
外国語の勉強は1人でやるより仲間がいるほうが間違いなく楽しいし身に付きます。会話方式で勉強することもできるし、レベルに差がある場合は教えたり教わったりすることが両者のためになります。旅行前の短い期間でしたが、私たち夫婦は意欲的にインドネシア語を勉強しました。私もそうでしたが、夫も外国語の勉強など何十年ぶりのことだったので頭の体操になったと思います。
旅行での実践
そんなわけで、私たちはバリ島で積極的にインドネシア語を使いました。チャーターした車の運転手さんとガイドさん、お店のスタッフ、道を尋ねた通りすがりの人。観光客相手の仕事をしている人は簡単な日本語を話せる人が多いので最初はそれに甘えていたのですが、せっかくの機会なので勇気を出してインドネシア語を使うようにしました。
「中身はなんですか?」「値段が高すぎます。」「明日の朝9時にマッサージをお願いします。」面白かったのは私のインドネシア語を聞くと皆「なんでインドネシア語を話せるの!?」と驚くことです。そして、私が勉強していることを伝えるとインドネシア語で簡単な会話を続けてくれるのです。これが嬉しい。夫もまた、「トイレはどこですか?」と尋ねることができ満足気でした。外国語に限らず、勉強はアウトプットしてそれが自分や誰かの役に立った時が最も嬉しいものです。
2020年は外国に行かなくても外国人と話す機会があるかもしれません。オリンピックに関連した機会でなくても、日本に住む外国人は増えているので、どこに行っても外国人がいることが普通になってきました。バリ島から帰るとぱったり勉強をしなくなった夫ですが、今でも「トイレはどこですか?」を覚えています。今後インドネシア人に「トイレはどこですか?」と聞かれることがあったら、はりきって案内しようと思います。
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